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にきたつの道と理学部での思い出


生物学コース 中島敏行  


2023年3月に退職の日を迎えることになります。私が愛媛大学理学部に赴任したのが1999年4月ですから,およそ24年が経ちました。  

 この間いろいろなことがありました。研究では好きなことを自由にやらせてもらい,教育では学んでいるのは実は自分であることを気づかされる日々でした。

 私の研究分野は生物学ですが,あえて分けると二つあります。一つは,生物進化の仕組みを実験と理論の双方から明らかにすることです。多くの進化の研究では既に進化した現生の生物を調べて行うのが主流ですが,世代時間の短い生物を実験室で進化させてその過程や仕組みを調べる手法(実験進化)があります。私の場合は,微生物を用いたモデル生態系を作り,生態系の中で構成種がどう進化するかを解析していきました。世代時間の短い微生物といえども長い時間かかります。13年間の長期培養と分離した多くの変異株の性質やDNAをコツコツ調べていき,退職の日ギリギリまで解析は続きましたが,どうにかまとめられる段階にこぎつけました。この研究では「生態系という全体が構成種の環境を作り変化させ,それらの進化を誘導していく。それにより生態系の物質とエネルギーの流れの構造が変化して生態系自体も進化する」という結論にたどり着きました。もちろんメンバーである個々の生物側の進化的アクションがあっての進化ですが,全体が部分を “そうさせる” という側面を実証的に浮き彫りにできたと考えています。自然現象には境界がなく研究は容易に自分の専門領域を超えましたが,生物学科の同僚との共同研究など研究室間の垣根が低い理学部の文化のおかげで進めることができました。また,講義や研究指導の中でも自分がよく理解できていないことや新しい問題に気づくことがよくありました。研究と教育は同じコインの裏表かもしれません。

 ところで,ここ3年間は新型コロナウィルスによって,大学も社会生活も随分悪影響を受けました。新型コロナのパンデミック真っ只中の頃は,私が担当する「進化生物学」の講義では,コロナウィルスの派生株の系統樹を紹介して進化過程の説明に用いたり,共生の進化を教える箇所では毒性の強い病原ウィルスは適応進化の結果として弱毒化する仕組みや事例を紹介し,新型コロナは良い教材にもなりました。もっとも,弱毒化の兆しがまだ見えない頃の試験の答案には「講義で言っていたような弱毒化はまだないようだが・・・」などと疑っている学生もいましたが。このパンデミックもようやくワクチンや感染による免疫保有人口が増え,予想した通りウィルスの弱毒化も見られ,出口はもうすぐのようです。このパンデミックはあらためて人間同士の対面での付き合いの重要性を教えてくれましたが,同時にオンライン会議という道具を普及させた正の遺産も残したと思います。

 私の二つ目の研究分野は「生命とは何か」というかなり基礎的な分野です。私は生命系における事象の確率や情報の理論の切り口から研究をしてきましたが,同時に生物哲学の観点も好きで,この両面から取り組んできました。若い頃はこの研究を“こっそり”やっていたのですが,ありがたいことに愛媛大学では堂々と取り組むことができました。着任時に辞令を下さった当時理学部長の小松正幸先生(後に本学学長)は,ぜひ理学部でそのような研究や考え方を継続して広めてくださいと仰ってくれました。「何ていいところに来たのだろう」とその時感激したことを今でも鮮明に覚えています。

京都の哲学の道は有名ですが,私の哲学の道は理学部の裏門を出て道後温泉につながる水路沿いの “にきたつの道” です。集中できないときや考えに行き詰まったときに,水の流れを見ながら何度もこの道を歩きました。大学に赴任した当時は水路にはナマズを何匹か見かけたのですが今はもう居りません。水路を覗きながらこの道を歩き,道後商店街にあった喫茶店(今はなき ”なも”)に向かうのです。コーヒーを飲みながら1時間ほど考え,ある程度の壁は突破できたような気分になったところで,また同じ道を戻ります。いずれの研究テーマおいてもこの道を歩きながらいろいろなことを考えました。

この原稿を書きながら愛媛大学での出来事を振り返ると,思うように行かなかったことや意外とうまく行ったことが織り交ぜられて思い出されます。人生は選択の連続といいますが,自分が世界の次の状態を選択できるわけではありません。自分の選択と物質を含む自分以外のあらゆるもの達の選択により世界の次の状態が決まり,未来がつくられるのでしょう。だから,ままならないことも多いわけです。アドラーの心理学でしょうか,私が好きな捉え方があります。過去の事実は変えられないがその解釈は変えられる,そしてその新しい解釈で未来は変えられる,というものです。在籍中には学生,職員,教員など様々な方に助けられてきました。この場を借りてお礼を申し上げるとともに,皆様がより良き未来を築かれることを願っております。