ホーム母校の窓佐藤久子先生

退職を迎えるにあたって


化学コース 佐藤久子  


人生はよく大海原を航海する船に例えられます。私のこれまでの航海は、次から次へと荒波に遭遇するかなりダイナミックなものだったと思います。 

 見方によっては、いつ海に投げ出されるかもわからないぎりぎりの綱渡り航海でした。2002年45歳で会社を退職してポスドク研究員となりました。先の見通しもなく毎年身分と研究場所の確保に明け暮れていたころ、2009年に愛媛大学理学部化学科(大学院理工学研究科)の准教授に採用されました。最初の挨拶では、生まれ故郷(現在の協働センター南予が私の小学校)が近いことも述べさせていただきました。前任の東長雄教授がネーミングされた複合体化学研究室の名前をそのまま引き継ぎました。自分の研究室と自分の名前のはいった郵便箱を持てた喜びを本当に噛みしめました。翌年2010年には教授に昇進させていただき、一層の責任を感じて身の引き締まる思いでした。そして今は、なんとか定年退職が近づいて来たという感慨が迫って来ます。

愛媛大学に赴任してからの研究の中心テーマは、右手左手の関係のような分子不斉(キラリティ)に関係するものです。ゲル、分子結晶、多核金属錯体にみられるような多数の分子が連結することによって現れる不斉構造(“超分子キラリティ”と呼んでいます)に着目し、その解明のためのキラル分光法の研究を行ってきました。中でも赤外領域のキラリティを調べる赤外円二色性分光法に着目しています。この装置をさらに生体試料をそのまま測定できる装置にしたいと外部資金に申請しては不採択を繰り返してきました。やっと定年近くに採択された外部資金で世界に例のない唯一の装置を完成させることができました。正に“描いていた夢”が実現したということでしょうか。多くの共同研究者のおかげで装置が完成し、成果を発表することができ、最後に研究活動で学長賞をいただくことができました。

研究室を閉めるにあたって、1年くらい前から一つ一つの装置にお別れをしているところです。苦労を共にしてきたある意味自分の分身のような装置たちにはどの装置にも私の想いが詰まっています。私の気持ちそのままに装置も調子がよかったり、エネルギーが下がったりします。その時々のことを思い出しながら、事務の方々に助けていただき片づけています。メーカーさんからは、私が特注設計した装置が最近になって、ニーズがでてきたと聞いてとてもうれしく思いました。その後外部資金に採択されるたびに少しづつバージョンアップを続けてきましたので、愛着もひとしおです。「あれからもう10年とは早いものだ」とメーカーさんもなんだか感慨深げでした。

福島第1原発の事故に関しては粘土科学の側面からなんとかしなければとの思いでやってきました。共同研究者の方々と福島の地でミニプラントを立て、土壌からのセシウム除去の実証実験を行ったことも忘れることができません。私にとって初めてのフィールドワークで、これまで味わったことのない経験をさせていただけましたが、まだまだ難しい問題が山積みです。

つらい時期に実験をしていると、新しい現象を自らの手でみつけることができたことなどもありました。今振り返ってみますと、そんな時期は学外の共同研究者や化学教室を始め愛媛大学内の共同研究者のおかげで乗り越えることができたと思っています。愛媛まで多くの研究者やその研究室の学生さん達が来てくださり、研究という形で私を支えていただきました。おかげ様でひとつひとつの思い出を論文という形にして、世の中にだすことができました。複合体化学研究室を立ち上げてから少ない人数ですが、学生さんを指導できて、実社会に送り出すことができましたことは私にとっての財産です。たった一人の博士号をもつ学生さんを育成でき、彼をアカデミックポストにつけることができましたことも私の大きな喜びです。彼が、私の研究を引きつぎ発展してくれることを願っています。

現在もコロナによる研究活動の制限など想像を超えることばかりが続いています。量子化学の授業担当が遠隔授業から始まり、教えることの難しさは赴任以来、未だ尽きることのない私の悩みの種です。管理運営面では広報委員長、社会連携委員長、キャリア委員、研究コーディネーター、女性未来育成センター委員、日本化学会の委員などで種々の行事の事務などやらせていただきました。最後の2年間コース長を拝命していますが、至らぬことばかりで、私を支えてくださっている化学教室の先生方々や事務の方々に本当に感謝しております。社会連携に関連しては愛媛県庁の環境政策などの委員や委員長、科学技術振興機構のプログラムオフィサー、環境省環境研究推進委員会委員、日本学術振興会の科研費委員などをさせていただきました。

最後にぜひとも理学同窓会の皆様にお伝えしたいことを記します。本年度大学院組織が改組されました。社会人修士課程や博士課程に興味をある方がおられましたら、ぜひとも愛媛大学でキャリアアップの路を目指しませんか?私の時代には社会人のための大学院はまだありませんでした。そのような中で企業で働きながら、35歳で博士号を取得することができました。今は制度も整ってきております。ぜひともこの制度を活用してキャリアアップにつなげてほしいと思います。この苦しい時代だからこそ、今まさにそのチャンスではないでしょうか?

私自身は信じられないことに、定年を前にして、初めての分野の新しいテーマで科研費に採択されました。新しいことを楽しみながらチャレンジできることに喜びを感じます。理学部の皆様にはまだご迷惑おかけするとは思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 最後に理学同窓会がますます発展されることを願っております。