ホーム母校の窓宗博人先生

16年前の赴任を振り返って


物理学コース 宗博人  


ひょんな事から四国(愛媛大)に赴任したのは、単なるうっかりであった。以下は事実で今でも嫁さんに揶揄されるが人に話してもネタとしか思ってもらえない。 

 何がひょんな事かというと、僕の前任地(新潟)と嫁さんの勤務地(川崎)が遠いので、お互いに「もっと近い所に移れるといいね」と言っていた。新潟から川崎は、新幹線+電車で3時間くらい。

ところで、四国からは羽田便がある飛行機だと飛行機+電車で2時間半くらいなので、「近いじゃん。」という事で、愛媛大の公募にアプライした。

これが嘘のような本当の事で、赴任当初は地理的にも実際の時間も(飛行機は乗るのにも降りるのにも余計な時間がかかる)遠い事が分かって嫁さんからチクチク皮肉を言われていた。 しかし、遠い事は悪い事ばかりではない。時間の流れが今までと違って研究にも教育にもじっくり向き合うようになった。特に研究面では、週末に近くの喫茶店で何時間も居座って考えたり、一心不乱に計算したりした結果、今まで思ってもみなかったアイデアが浮かんできた事が度々あった。都会で何時間も喫茶店にいると「注文するか退店」を促される。そうすると折角浮かびかけたアイデアが消えてしまう。結論的に言うと、自分の研究スタイルにはこの松山の環境は適していたと今では思っている。 また、嫁さんもよく「夏の暑い時期が長いのを除けば松山は季候がいいよね。」と言ってる。確かに夏はエアコンの部屋にいないと頭が溶けそうでそれが10月まで続くのは閉口であるが、それ以外は確かに雨が少なく近くをドライブするのもいい。それに冬の時期は、毎日どんよりの雲が垂れ下がって強風が吹きまくる前任地よりも遙かにいい。

人間関係についても述べたい。人というものは流行の言葉で「多様性」を持っているので、いろんな人がいるものである。愛媛大の学生さんも教職員の方も。従ってすべてが良かったなどというと無責任でかつ自分が耄碌しているような気がするので、そうは言いたくはない。いろんな経験が自分の刺激になった事だけは事実なので、それは言っておく。

それよりも松山の人で驚きだったのが、「優しい」ことである。自分が借りている駐車場の場所を一度だけ間違えた事があって、自分の車を隣の別の利用者(毎日車を使っている)の駐車場に止めて、それが何週間も気づかずに続いていた事があった。その隣の人は、逆の隣の場所(そこは契約者がいない)に車をとめて、僕とすれ違っても文句の一つも言わないのである。一月くらい過ぎてやっと自分が場所を間違えた事に気づいて、元の場所に移動し、たまたまその人に会った時に謝ったら、「はあ」という簡単な返事で驚いた事がある。僕だったら苦情の一つも言いたくなる。

その後その人は元の場所に車を移動して、元の鞘に収まったのだけど、何か居心地が悪いまま過ごした。また自転車の鍵をかけ忘れても自転車を盗まれた事はないし、これって、松山の人の性格なのでしょうかね。まあ確かに16年も住んでいると色んな事があるもんですね。でも、今度定年退職する事になって良かったと思う事の一つに、段々、自分のオフィスの乱雑さがひどくなっているので、これ以上この部屋にいると窒息しそうだし、離れる時にきれいにするのも大変そうだと懸念していたタイミングでの退職なので結果オーライである。折角なので、感想だけではなく学問(物理学)についても一言述べたい。

先日ネットで「科学は人を幸せにするか」という感じの討論番組があった。それを見ながら奇妙な感じを抱いた。他の学問はよく分からないので、以下対象は物理学に限らせていただく。技術は人を幸せ(もしくは不幸)にする可能性はあるし、その基本知識は科学に基づいているのも確かである。

僕は学問(物理学)はそれに関する人の活動も指すのは尤もだが、その結果である自然の法則を指すと思っていた。つまり、学問(物理学)は自然そのものなので、人類の幸福や不幸とは別の次元の存在のように思えるのである。なので、ネットでの討論番組を違和感を持って見ていた。まあえてして「科学」と「技術」を混同して使いがちなので、そんなに目くじらを立てる必要はないのかもしれない。

最後に言いたいことは、「物理とは」や「科学とは何か」をじっくり考えさせられた「時間」をここ松山で愛媛大で与えられたことは幸せな16年間だったと思う。