数学・数理情報コース 石川保志
知っていることについて。
以下「知っていること (or not)」を (not) P、『「知っていること」 (or not)』を (not) Qと記す。これにしたがうと
知っていること --> 知っていると知っていること P and Q
知らないこと not P --> 知らないと知っていること not P and Q
--> 知らないと知らないこと not P and not Q
と表現できます。
人の活動で
『「知らない」ということを知らない』
ことは存在する。そのことを認識しておくのは重要です。
そして(「知らない」ということ)がある確率で実現します。これは「ブラック・スワン(黒い白鳥)」現象として知られています。例:東日本大震災
この事象を敷衍すると
『「わかっていない」ということをわかっていない』
という人が存在することになります。例:「OOO人は変な奴らだ」。
これに関連して、老子(老子 五六)が
知る者は言わず言う者は知らず(知者不言 言者不知)
と言っています。なお、後言は前言の対偶です。
また孔子(「論語」為政第二17)は
知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす これ知るなり(知之為知之、不知為不知 是知也)
と言っています。
この「知らないと知らない」という事象が存在するということを常に意識することが重要のようです。
それには、ある程度、想像力を要します。(なお、世の中には「知らない」と知っていても、『知らない』と言えない人もいます。)
これを数学的に表現すると次のようになります。
F(t)を時刻 t までに入手した情報とする。t を固定すれば F(t) はシグマ加法族であり、その中で合理的に推論・判断ができます。しかし F(t) は時刻 t での世界 G(t) の部分加法族であり、 F(t) に入らない情報もあります(そして本人はそのことを知らない)。また、連続時間 t が経ち t' > t とすると、 F(t) も増大して F(t') となるが G(t) も増大して G(t') となる。こういう場合には時刻 t ではどう頑張っても知りえない事象がでてきます。これが上述した結果になる理由です。
実際にはこれは個人の器量に関わる問題であり、小説、映画などを通じて知見を広めることが重要です。
因果律について。
じっさい世の中何が起こるかわかりません。結局、われわれは、合理的に判断して、行動することしかすべがありません。それでも偶然性ということは存在します。
経済ニュースで「本日の円安は...のため」、「本日の株高の要因は...」などと言っていますが、その多くは(単なる)偶然性
(ブラウン運動)であると言われています。また、よく世間では、(事象が)起きてしまってからは「予測できた(のではないか)」と言われます。しかし、それは「時すでに遅し」です。世の中ははるかに複雑であり、「ジブリの呪い」のようなアノマリーがたくさんあります。
そうであっても、前に起こったことは後に起こったことに影響します。一方、後に起こったことは前に起こったことに(この世では)影響しません。これが因果律です。
新八犬伝[里見八犬伝](の坂本九による口上)は
「因果は巡る糸車、巡り巡って風車」
でした。その他の例としては
「風が吹けば桶屋が儲かる」 [風が吹けば箱屋が儲かる]
「2度あることは3度ある」
等があります。
これらは極めてきつい条件ですが、世の中(この世では)そうなっているので仕方がないようで、避けられない現実です。それが嫌な人は、せいぜい、映画または小説の「黄泉がえり」ないし「君の名は。」(アニメ)などを見て(読んで)人生をなぐさめましょう。また、「足るを知る」(自分の限界を認識する)ということもあります。
愛媛の思い出。
私は2000--2024 の間(25年間)在職し、卒業研究を担当しました。そのうち19年間は生保年金数理をテーマとしました。
これはルベーグ積分を知らなくても取り組めるテーマであり、各人の理解の程度に応じて対応できます。
ゼミ生たちは、銀行員、教員、会社員、JA職員、共済組合職員、等として旅立っていきました。
この25年間は、長いと言えば長いですが、登山をしたり、四万十川でキャンプをしたり、本を書いたりして愛媛を楽しみました。学生さんともキャンプに行きました。愛媛は自然がたくさんあり、雪も降らず、過ごしやすかったです。
遠い過去の愛媛の思い出といえば、小学生の頃(2年生か3年生)、授業中に聞いたラジオドラマ(NHK第2放送--たぶん松山局制作)に、「愛媛のミカンの収穫を手伝いに来たお姉さんに、少年(adolescent)がほのかに憧れる」、というplotのものがありました。担任はなぜそれをわれわれに聞かせたのか(いまだに)よくわかりません。原作があったのでしょうか。
そのころは遠い世界の話だと思っていました。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなりです。