社会情報学部環境デザイン学科 榊原正幸
この度、私は、2025年(令和7年)3月末日をもって、愛媛大学を定年退職することとなりました。愛媛大学理学部および理工学研究科在職中、関りがありました教職員の皆様方には、様々な業務で本当に大変お世話になりました。この紙面をお借りいたしまして、皆様方に心より御礼申し上げます。
また、私が理学部・理工学研究科の研究・教育で関わらせていただきました多数の理学部学部生および理工学研究科大学院生の皆様方には、本当に楽しい中身の濃い時間を過ごさせていただきました。皆様方にも心より感謝申し上げます。
さて、私は、1988年(昭和63年)8月1日に、愛媛大学理学部地球科学科の助手として採用されまし
た。大学入試で松山空港を出て以来10年ぶりの松山の地に降り立ち、「あれ(大学入試)から10年もたったのか」という思いを抱いたことを今でも覚えています。赴任当時の地球科学科は、お昼時や勤務後に教室の会議室で、その当時の多様な分野の若手教員が集まり、よく学問的な議論をしていました。私も時々参加させていただきましたが、とても刺激的かつ有意義な時間でした。
また、教室の助教授および助手の教員と一緒によく理学部近くの喫茶店でランチを食べに行きまし
た。その時、助教授の先生方に「榊原君はこれから一体どんな研究テーマで研究を進めたいのか?」と
よく聞かれ、その時は、思い付きで「岩石と水の相互作用を研究したい!」と答えていました。しかし、その後、この研究テーマが助手・助教授時代の新しい研究へと繫げることができたことは、今思えば運が良かったと思います。
愛媛大学に赴任した当初、私は28歳と若輩で、学生・大学院生との年齢差が10歳以下であったため、
教室における先輩として、いつも学生と学問や余暇に、一生懸命であったことを懐かしく思い出します。また、愛媛大学の36年あまりの間、私は理学部の教育・研究に情熱を持って取り組んで参りました。特に、助手・助教授時代の研究室の学生とは、特によくフィールド調査に出掛け、藪をかき分けて研究にとって重要な証拠となる岩石を探しまわっていました。そして、機会があれば、酒を酌み交わし、時間を忘れて学問や人生について語り合いました。そして、私も含めて皆若く、経済的にゆとりが無かったため、フィールド調査でも厳しい節約が必要でした。調査期間中は、たいていいつも質素な食事でしたが、若い私たちにとっては楽しい食事でした。今でもこの助手時代が一番楽しい充実した若手教員の時期であったなあと思います。とにかく、疑問が湧いたら、学生たちとフィールド調査に出かけていました。その頃の私の研究室の卒業生は、その七割ぐらいが修士課程に進学していたので、とにかく一人一人の学生と研究上の問題を熟議したものでした。研究室の学生には、「サポートするから、自分の研究成果は、自分で学会発表をして、自分で論文化しよう!」と励ましていました。その甲斐あってか、多くの卒業生が自分自身の研究成果の公表を頑張って実現していたと思います。私の研究室で、学生と一緒に行った重要な研究成果の多くを国内外の学術雑誌に公表することができたのは、卒業生たちがより学問的な高みを目指し、情熱をもって研究を頑張った賜物であると思います。今、私は愛媛大学の教員の定年を迎えるにあたり、研究室の卒業生全員に対して、ただただ感謝の気持ちで一杯です。
理工学研究科に博士後期課程が設置されてからも、多くの学生が博士後期課程に進学してください
ました。また、多くの留学生を博士後期課程の大学院生として受け入れてきました。現在、この時の学
生は、それぞれの国で優秀な研究者となられ、時々、私に連絡をくださいます。現在、インドネシアには、これら卒業生を中心とした研究ネットワークが出来上がっています。このネットワークは、非常にアクティブであるので、今後も何かお手伝いができることがあれば、協力してゆきたいと考えております。
また、2010年度(平成22年度)以降、私はインドネシアおよびミャンマーとの国際交流活動にも精力
的に取り組んできました。理学部もしくは理工学研究科の学生を対象として、私が責任者となり、愛媛
大学の国際GP等で2010年度(平成22年度)には3名2011年度(平成23年度)には8名をインドネシアに派遣いたしました。2012年度(平成24年度)には5名の学生をインドネシア・バンドン工科大学へ派遣し、3名のインドネシア人留学生を本学に受け入れました。2013年度(平成25年度)には6名を、2014年度(平成26年度)には2名の理工学研究科学生をインドネシアに派遣いたしました。
また、海外留学生の受け入れでは、JSTのさくらサイエンスプログラムを活用して、2016年度(平成
28年度)にミャンマー・タンリン工科大学(10名)、2017年度(平成29年度)にはミャンマー・ミャンマー海事大学およびタンリン工科大学(10名)と、多くの留学生を愛媛大学理学部に招聘いたしました。
海外留学生の受け入れは、その度に、様々な問題がありましたが、今となっては楽しい思い出となっ
ております。何より、学生たちが明るい笑顔で留学生と話しているのを見る度に、プログラムを実施し
て良かったと感じていました。
さて、研究に関しては、50歳を超えてから、大きな転機が立て続けに二度訪れました。最初の転機は、2016年(平成28年)4月に所属学部を理学部から新設の社会共創学部に変更することを決断した時でした。この決断は、まさしく研究者人生の大きな転機となりました。その際、諸先生方からご心配やお叱りの言葉をいただきました。正直に言って、私は理学部の研究・教育環境に対する不満を一度も感じたことがありませんでした。ただその当時、トランスディシプリナリー研究というまったく新しい学問分野で研究・教育に取り組んでみたいという強い気持ちを抱いていたのを覚えています。その時は、新たな大海原に大冒険に乗り出す船乗りのような気持ちだったのだと思います。大学人として、理学部とは全く異なる学部で、全く新しい学問分野の研究・教育を始めるという不安が無かったと言えば噓になりますが、それよりも全く新しいことにチャレンジできる期待と夢の方が遥かに勝っていました。
そして、二度目の転機は、2018年(平成30年)に京都にある総合地球環境学研究所(通称、「地球研」)にクロスアポイントメントとして採用された時です。地球研は、トランスディシプリナリー研究では日本で最も最先端の位置を占めていました。この時、既に社会共創学部の教員でしたが、理工学研究科所属ではありましたので、この時も多くの同僚や諸先生方に大変ご迷惑およびご心配をお掛けしたと思います。特に、その時の大橋前学長には、大変お世話になりました。私は、博士課程修了後直ぐに、愛媛大学に採用されましたので、他大学・他機関で勤務した経験はありませんでした。地球研において、のべ30人以上の研究プロジェクト・リーダーとしての研究者生活は、驚きかつ未体験の連続でした。そのクロスアポイントメントを無事終えて、愛媛大学で定年を迎えられたことは、私の研究者人生にとって多くの人々に支えていただいたからであるという強い感謝の思いがあります。
最後に、私が本学の教員生活を無事全うすることができましたのは、ひとえに小松正幸元学長のお蔭
であることは、言うまでもありません。小松先生は、私を愛媛大学の助手として講座に迎えてくださいました。先生は、時々アドバイスをくださるだけで、未熟な私に文句一つおっしゃらず、見守ってくださいました。近年、私が忙しくなってからは、ご挨拶に伺えておりませんので、定年を機に一度ご挨拶に伺いたいと考えております。
また、私のパートナーである理学部の堀教授も感謝する研究者の一人です。この紙面で詳しいことを説明することは差し控えたいと思います。
最後になりますが、私の理学部在職中の経験は、研究者として、そして一人の人間として非常に貴重な糧となりました。そして、今、私の愛媛大学における研究者人生は、定年という大きな節目を迎えます。私は、定年後の人生で何をするのかも具体的に決めておりませんが、きっと、新たな人生へチャレンジすると思います。その新たな機会と出会いを楽しみに待ちたいと思います。また、どこかでお会いできましたら、気楽に声を掛けていただければ幸いです。今後の皆様のご活躍を心よりお祈り申し上げます。